妹の話
どうも!オーストラリアにワーホリ中のくろやんです!
今日は妹の話をしたいと思います。
わいはほとんど家族の話をすることはありません。
両親は離婚していますし、母とは意見の違いや金銭のやりとりで喧嘩しまくって家を飛び出したので家族に対してあまり語りたくないところもあります。
ではなぜ今回こんな話をするかと言うと、妹がかねてからの夢であったCAへの転職を叶えたからです。
知らせを聞いた時は素直に嬉しかったし、わいがこんな自由奔放にやりたい放題やっているから、色々と感じることもあるわけです。
今日はそんな妹の話をして、自分の思ったことを書いていこうと思います。
わいと妹
わいと妹の関係
兄弟いつも仲が良いって所もあれば全く仲が良くない所もあります。
わいらの場合は中間くらいで、仲はそこそこ。という感じ。
お互いもう20代後半なのでたまに電話とかラインでちょっと近況聞くくらいな感じです。兄と妹の関係だと大体こんな感じじゃないですかね?
妹はコツコツ努力するタイプ
あんまり妹の性格を分析したことないですけど、一緒にいた時や今の暮らしぶりを母から聞く限りではコツコツ努力するタイプです。
わいは対照的にコツコツ努力するのがあまり好きではありません。
かといって、何かにとても秀でているわけでも無いので結構終わっているやつなんですが、そこはとりあえず置いときましょう。
妹は不器用ではないですが、何かすごい才能があるというものは無かった(はず)です。しかし自分の夢を追う為に努力を続けていたという点では才能があったと思っています。
そして今回その夢が叶ったということで、兄としては素直に「おめでとう」という感想を抱いているところです。
妹のこと
お金やら機会に恵まれなかった環境
わいもちょくちょくブログで愚痴っていますが、家が裕福ではなく、特に離婚後は母子家庭でド貧乏な生活環境に置かれていました。
大学時代に月7万を生活費として入れてヒイヒイしてたと前にも言いましたが、これは妹も状況は同じで、額がちょっと少ないだけでそれでも月5万は入れてたはずです。
母親曰く、わいが中学受験をしていた頃と私立中高時代はとにかく塾代と授業料が家計の負担になりすぎて、妹に回せるお金が無かった。と言っています。
お前にはお金たくさんかけてきたんだから、期待に応えろよと言わんばかりのプレッシャーを長年かけ続けてきた母にはいまだに腹が立ちますが、確かにそれによって妹に十分なお金をかけてやることが出来なかったというのは理解できますし、実際そうだったんでしょう。
客観的に観ればわいと妹では親孝行の面で全然貢献度が違います。
わい
小学生時代から高額の塾代
私立中高での高い授業料
2年の留年&私立大学入学
就職したが1年で退職しフリーター
オーストラリアにワーホリ
帰国後の将来についてノープラン
妹
中高は公立高校
大学に現役合格
就職後、2社ほど転職をしたがそれでも継続的に正社員として働く
今回CAになる夢が叶う&就職
もう一目瞭然。
というか、わいは色々自虐している割には前半めちゃくちゃ甘やかされているんです。
その反動が、大学入学後の堕落へと繋がっていって今に至っているんだと思います。自分のせいですけど。
母子家庭になってからは色々苦労しましたが、それは妹も同じ条件です。
しかも、わいは母と衝突を繰り返し、逃げるように一人暮らしをして自由気ままな生活を送っていきましたが、妹はその後も母と一緒に暮らしています。
妹と母が衝突する事が少なかったとはいえ、同じ家に親と住む以上自由である部分はかなり制限されます。つくづくわいが結構自分勝手にやってきたことが分かります。
夢が叶うまでの長い道のり
妹がいつからCAになりたかったかは知りませんが、入った大学の学科や学生時代からよく海外旅行や短期の留学をしていたのでこの頃からCAになる夢があったんだと思います。
大学在学中は思うように就活が進まなかったようで、新卒で入った会社は証券会社でした。
わいは経済学部出身で、もとから社会科目に精通していたから良いですが、正直妹が証券会社に就職すると聞いた時は「妹に金融業が勤まるのか?」と感じました。それだけ妹にとっては畑違いの業種だったし、めちゃくちゃ苦労する仕事だったからです。
それでも2年ほどやり通し、その間も航空会社の中途採用募集があれば積極的に応募していました。
証券会社の外回り営業は大変だったと思います。実際キツかったみたいですが、休日も休まずES作成と企業研究を繰り返していました。
そんな頃わいも旅行会社で毎日忙しい日々を過ごしていましたが、休日は昼間で寝る、起きてネットサーフィンSNSチェック、そして外出してはギャンブルに興じていました。
その後、空港のグランドスタッフの仕事に転職し、勤務地も成田空港になったことから、母と共に成田に引っ越し、わいは一人暮らしを始めることになります。
そこからの詳しい日常生活は知りませんでしたが、たまに母と妹の家に帰りふとカレンダーを見ると仕事の予定はびっしりで、間の休みの日に会社説明会やESの締め切りなどのメモが書かれていました。
空港の仕事は不規則で、朝4時出勤の深夜帰りということもザラ。休みも少なく、数年である程度のポジションを任され、後輩指導や全体のマネジメントも任されていたようです。
ちょくちょく転職活動の状況も聞いていましたが、なかなか大変なようでした。
わいはそんな頃借金地獄である意味大変でした。
彼女はそんな苦難の道を5年も続けていたのです。
対照的に堕落しきっていた兄として一言
「いや~すごいよね~」
感じた事
そんな苦労も知っていたし聞いていたので、今回の妹の内定は嬉しいですが、同時に兄として自分の情けなさをまざまざと思い知らされました。
完全に終わってる兄、その上過去借金地獄になっていた状況(母と妹は未だに知らない)を聞いたらなんて思われることでしょうか。
わいも英語を勉強したいという思いからワーホリに来ているわけですが、正直海外で遊んでいるといっても反論は出来ません。毎日忙しく働きながら自分の夢を兼ねるために具体的に継続的に努力を続けてきた妹とは比べるまでもありません。
情けないですね。
今回自分の情けなさをさらに感じるきっかけになりました。
上の兄弟というのは常に尊敬されるべき存在でないといけません。今回は妹から刺激を受けたので次回はわいが何か刺激を与える番です。
何を成し遂げるかにもよります。
日本に帰国し、頑張ってまた就職活動をして母をとりあえず安心させるというのが最良手でしょう。
それこそ今勉強している英語を駆使して世界を股にかける仕事に就職できたら、これから英語をたくさん使うであろう妹にも多少はいい影響が与えられるかもしれません。
しかし、わいにも夢があります。
すべての夢を叶えるためには会社に縛られた生活では不可能に近いものです。
ぼんやりと自分の頭の中にはありますが、恐らく今後自分が長くどこかの会社に勤めるということは無いです。
独立して、自分の力でお金を稼いでいく道を歩んでいきます。
海外で活躍できる会社に就職するよりはるかに難しいと思います。
そしてさらにそこで結果をだして、兄として尊敬される位置まで行くにはもうとてつもない努力と発想力と意志が必要です。
しかし、努力し続ければ報われるということを身近な人間から学ぶことができました。
妹には感謝してます。
といわけで、ダメ兄脱却するために頑張ります。妹はこのブログの事知らんけどとりあえずおめでとう!
家族の事褒めるのむちゃくちゃ恥ずかしいのでこの辺で終わります。それでは!