挫折や失敗は当たり前。でもそれを生かさず今を頑張れない人になってはいけない
都心オフィス街のとある意識高い高いルームに来ています。
前回の記事で、ふざけながらも将来の夢を電脳世界にダイブさせたので、口だけじゃないんだよというところを証明せねばと思い、行動を起こした結果です。
意識高い所に来たら何かしら刺激になるのではという安直な考え方ですが、まあ何も考えずに家でボーっとしているよりはマシです。
改めて自分の年齢を振り返ってみると30歳まであと4年というところまで来ています。
4年が長いとみるか短いとみるかは人それぞれだけど、ぼーっとしていたら気づいた時には30代を迎えているでしょう。
何も変わっていない1年間
後悔したくない人生を送ろうと思い、会社を退職して1年。この1年は本当に早くやってきました。これがあと4回繰り返したらもう30歳。
この一年、何も変わっていなかった
さすがに、30になってもなにも状況が変わってなければ身の安定のために就職活動に本腰をいれないとだめだと思っています。なので今は失敗してもいいから毎日を精一杯頑張って生きていこうと考えています。
何もかもが中途半端だった中高大学時代
思い返してみると後悔だらけの人生でした。
中学に上がるまではそれなりに順調でした。
志望していた中学に合格し、親も鼻高々、充実した6年間を過ごすものと思っていました。
サッカー部に入部し、授業が終わったら練習に励む日々
しかし、レギュラーになることは一度もなく、親の観に来る試合ではいつもベンチを温めてばかり。一度試合に出る機会があり、叔父を含めみんなが観に来てくれた試合では開始5分で骨折負傷退場。それっきりとうとうレギュラーチームの試合に出ることは出来なかった。
中学で一旦部活は引退。一度は高校ではサッカーをやらないと心に決めていました。
しかし、仲間からの誘い、何よりもう一度試合に出てサッカーをしたいという気持ちが残っており、高校のサッカー部に入部。
しかし、高校でもレギュラーの試合に出ることは無かった・・・。
毎日練習には参加していました。サッカーが好きだったから地道な練習も何も苦ではありませんでした。
ただ必死に練習していたか、今思うと疑問に残ります。
もちろん、中学から始めたサッカーなので、ユースの頃から地道な基礎練習をこなしてきた連中に比べると劣る部分しかなかった。しかし、その差を埋めるべく、毎日血を吐く努力をこなしてきたかというと決してそんなことは無かった。
スラムダンクとか見てても、桜木花道のように素人ながらも人の何倍も何倍も努力して最終的には全国大会で活躍できるような人間になりたかった。
作中に出てくるチエコスポーツの店長の言葉が重く突き刺さる。
「いつも悔しくて目が覚める・・・。僕の青春さ・・・。」
今でもあの頃の夢を見ます。夢の中でもわいはベンチを温めている
浪人時代もそう、志望大学に合格するために必死に勉強していたかと今思い出すとそうではなかった。勉強はしていたけど、どうすればいいか、苦手科目の克服をする方法などちゃんと考えていませんでした。
どこか中学受験の成功体験が頭の中に安心感を植え付けていたのかな。
今思えば中学合格は、どう考えてもラッキーだった
直前の模試で、D判定を取るレベル。まあそれから一生懸命努力はしてきたが、恐らくギリギリ。その年の合格最低点だったとしても驚きません。
でも、今でも人生で一番勉強していたのは小学生時代だったと思いますし、その努力に見合った結果は出ました。大学受験時はそこまでの努力は無く、まあ不合格という結果は順当だったと言えるでしょう。
大学時代はそれなりにいろいろやってきたが、就職活動はやはり中途半端にしかしていない。
自分のやりたいことをちゃんと明らかにせず、興味のある分野にとりあえず応募して、内定をもらってとりあえず入社。
入って半年で、やりたいこととのズレを感じる。
見切り発車のままフリーターになり一年、現在に至る。
要はやることなすこと、すべて中途半端だったわけです
後悔先に立たず。まさにその通り。
今までの失敗を挫折と片付けてしまっているが、努力不足の自分をもっと反省しないといけないと思う。
挫折や失敗は当たり前、問題はその後
失敗経験や挫折経験は恥ずべきことではない、恥ずべきはその経験を生かせていないこと。
というわけで今は自分の持てる力もすべて出し切ってやるつもりでいます。
やっていることは周りからすれば馬鹿だと思われることかもしれませんが。
はよ就職しろや
ネットで稼ぐなんて一握りだからw
笑われることには慣れているので大丈夫です。
でも何もせずに30になって笑われないようにしたいです。